ときどき、「高橋さんは、なんで生活者ネットワークと付き合っているんですか?」と聞かれることがある。2007年に『勝谷誠彦の××な日々。』をウェブ日記から有料配信メールに移行したとき、2ちゃんねるでは「勝谷が右翼から巻き上げたカネを、高橋(世論社)が左翼に流している」なんて、とんでもないスレッドも立った。
東京・生活者ネットワークは、渋谷で会社(アイランドボイス 2002年〜2004年)を立ち上げてから最初のお客さんだった。だからそれだけでも恩を感じているんだけど、音楽畑から長野県知事選を通じていきなり政治の世界に入ってしまった自分としては、それこそ右も左もわからなかったので、「こんなに一生懸命活動している人たちがいるんだ」という感動しかなかった。
生活者ネットとの繋がりができ、2004年には神奈川ネットワーク運動も契約してくれて、ゆっくりではあるけど順調に進んでいた2006年。事件は起こった。
サーバーの中身が消えた!?
突然サーバーが落ち、再起動で復旧させたのが2回続いて、3回目に落ちて再起動させたあと、サイトを見ていたら再読み込みするたびに写真が消え、テキストが消え、とうとう何も表示されなくなった。
最初、何がなんだかわからず、「また再起動させれば良いか」とサーバー会社に連絡して再起動させたところ、状況は変わらず画面は真っ白のままだった。悪意のあるハッキング=クラッキング攻撃を受けて、サーバーのHDDを書き換えられてしまったのだった。
悪寒がしたのに、ジワリと身体中に汗が滲んできて、頭皮を汗がつたった。手が震えてキーボードが上手く打てない。サーバー会社に連絡すると、「HDDを上書きされてしまったようなので、クリーンインストールします」と言う。
ちょっと待て。クリーンインストールなんぞされたら、データの復旧ができない。RAIDでデータのバックアップはされているはずだ。
しかし、RAID1は1台に書かれたものがもう1台にも書かれるだけなので、両方とも同時にダメになってしまう。そのときは外部HDDへのバックアップを行っていなかったので、万事休すかと思われた。
死んで詫びるしか無い
「とりあえずHDDを引き取ろう。あの消え方からすると、中身が全部書き換えられたとは考えにくい。入り口だけだったら復旧できるのではないか」と、サーバー会社に連絡したが、前例が無いからダメだという。なんとか頼み込んだら、1台だけなら特例で認めるということで、3日ほどかけて送られてきた。
その間、とにかく状況を説明しなければならない。私は、生活者ネットワークと神奈川ネットワーク運動の事務所に行き、事の次第を説明して謝った。復旧できなければ、もう死んで詫びるしか無いとその時は本気で思っていた。
生活者ネットワークの事務所では、ちょうど事務局長会議が行われていて、皆、私の報告を驚きの表情で聞いていた(本当は表情まで覚えていないけど)。しかし、誰ひとりとして責める発言はしなかった。神奈川ネットの事務所でもそうだった。「すべてダメなんでしょうか」と質問はあったけど、誰も文句を言わずに静かに聞いていた。3年前の手動のバックアップデータだけは残っていたので3年前の状態までは戻せる。しかし、来年統一地方選挙があるというタイミングで3年間のデータが消えましたなんて、会社を畳んでも詫びにもならない。
会議が終わり、会場を出るとき、ある事務局長さんが「高橋さん、変なこと考えちゃダメよ」と声をかけてくれた。顔面蒼白で死にそうな表情だったようだ。それを聞いた瞬間にことばに詰まり、事務所に帰ってから泣いた。自分が情けなく、みんなに申し訳なく、そして嬉しくて泣いた。これは今でも思い出すたびに目頭が熱くなる。
データが読めた!
それからは必死だった。仮のサイトを立ち上げ、1台だけ返ってきたHDDを、当時システムをお願いしていた会社に送ったが、結果は「見れませんでした」だった。「ダメか」と肩を落としかけたとき、突然思いついた。
「そうだ。Yさんに頼んでみよう」
Yさんとは、ローランドのときの同僚だ。ローランドではそのとき映像編集機器の開発を行うため、HDDをバラック(開発用の基板)につないで、物理セクタをダイレクトに読める環境を作っていた。
ここまで2週間。すでに、みんなのフラストレーションも限界に到達していた。私はすぐに松本にHDDを送った。そして2日後。
「読めたよ。全部残っているよ」と、いつも飄々としているYさんからメールで返事が来た。足の力が抜けて、床にへたり込んでしまった。クラッキングを受けて、HDDの入り口(OS部分)が壊されてしまったが、中身は全部そのまま残っていたのだ。それからデータをすべて復旧させ、サーバーに入れてクラッキング前の状態に戻した。事件が起きてから、実に3週間が経っていた。
その後、月額10万円のセキュリティパックに入り、翌年にセキュリティ重視のサーバーに移行した。しばらくあとには、ファーストサーバの大規模なデータ消失事故があったが、とても他人事とは思えなかった。
2012年に基本システムをWordpressにして全部作り変え、バックアップもしっかり取り、外敵に対するアラームも設置するようにしたのだが、それでもデータが全部消える夢をたまに見る。
今では笑い話になったが、本当に死ぬしかないかと思っただけに、あのときかけてもらった言葉は忘れない。「こっちの事務所のパソコンに少し記事があったわよ」「これからは、ちゃんとこっちでも残しておかないとね」など、みんななんとかしようと協力してくれた。そのときの経験があるので、たいていのトラブルはなんとかなると思っている。そして、こんないい加減な私が、データに関しては慎重になった。
あのときから10年経った。生活者ネットワークとは、もう15年の付き合いになる。神奈川ネットワーク運動とも12年の付き合いだ。その間、活動を見続けてきて、その内容への共感具合の浅い深いはあるとしても、気持ちや方向性、バイタリティには敬意を払い続けている。何より、絶対的な信頼感がある。
だから、私はネット上の会ったこともないような人から心無いコトバをかけられても、「俺は、生活者ネットを応援しているんだよ」と胸を張って言えるのだ。