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勝谷誠彦

勝谷誠彦入退院顛末記……からのブログ再開

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せっかく週一回のブログ執筆が定着しかけたのに、勝谷の入院騒動で止まってから3ヶ月。

365日、毎朝10時までにお送りしている勝谷の有料メルマガ(勝谷風表現では『有料配信メール』)『勝谷誠彦のxxな日々。』の代筆を始め、11月からは強力なゲストライターに寄稿をお願いし、なんとかスタイルが安定してきました。

このブログを再開する上で、この3ヶ月間のことを何も書かないわけにはいかないので、この間にあったことを時系列で記録しておきます。

短期間でも良いので購読してみてくださいね。カードの場合は、1ヶ月単位での購読料引き落としになるけど、

『勝谷誠彦のxxな日々。』の案内(勝谷誠彦公式サイト)

 

今までは、夜の2時とか3時に寝て、朝8時過ぎに起きる生活だったのが、今は寝る時間は変わらずに6時ぐらいには目が覚めるので、とにかく毎日が眠い。もっと早く寝られれば良いんだけど、自分の仕事の量はむしろ増えているので、全体で仕事量が倍になった感じ。これはキツい。

8月勝谷入院時は真っ黄っ黄

以前からおかしかったということはあるけど、特に昨年の選挙が終わってからは日々の言動も「???」ということが増えてきて、マネージャーのT-1君と「もっと外に出る仕事を増やさないとダメだね」と話していました。

8月10日のネットライブ配信『血気酒会』のときは、腹は異常に膨れているし、黄疸が出ていて、目の中まで真っ黄っ黄だったので、みんなで「ヤバイぞ!早く病院に行けよ」と言うも、本人は「そうかあ?俺は医者の息子だからわかるけど、大丈夫だろう」と取り合わなかった。

しかし、さすがに本人もヤバイということは理解していて、なんとかヘロヘロで東京経由で尼崎の実家(弟が医者を継いでいる勝谷医院)にたどり着き、大病院への紹介状を書いてもらえた。

8月20日。いつも一緒に飲みに行く『にじゅうまる』に呼ばれて行ってみると、10錠以上もある薬を、日本酒で流し込んでいた。

8月21日。勝谷はマネージャーのT-1君と都内の大きな病院に行くと、「即入院」となりICUに入れられる。

そして1999年7月以来、1日も欠かさずに続けていた『勝谷誠彦のxxな日々。』が初の休載となる。

勝谷誠彦氏が集中治療室に 右脇腹激痛、コラム休載(日刊スポーツ)

このとき、最初に入った病院では手の施しようがなく、翌日にたまたま慶応大学病院に入れることになったので、救急車で搬送した。

正直、このときはもう駄目だと思っていました。多臓器不全の状態で、本人の意識はほとんど無く、医者から聞くのも「重症アルコール性肝不全」とか「劇症肝炎」とか、救いようのない言葉ばかり。

奇跡の復活?

そこで私は、一度はメール配信を終了して世論社も畳んでしまおうかと思ったものの、読者の熱いメッセージと、止めてしまったらもし勝谷が生きて戻ってきたときに居場所がなくなるため、とりあえず自分が書いて続けようとしました。しかし9月の購読料はもらう訳にはいかない。

勝谷はそこから奇跡の復活を遂げる。利尿剤によって尿が出ていたことで、次第に薬が効いて意識が戻ってきた。肝臓癌や合併症なども出なかったということも幸いした。最初のうちは断酒による禁断症状や幻覚のようなものもあったけれど、徐々に意識がはっきりしてきて、9月5日は自分の文章を出すことが出来るようになった。

しばらくはキーボードが壊れたようなパソコンで書いていたものの、パソコンを新調し、酒を断っていることもあって、以前のキレが戻り、10月1日からは勝谷本人によるメール配信を再開することができた。

劇症肝炎で緊急入院の勝谷誠彦氏 10・1コラム再開!奇跡的復活へ 当面は病床日記(スポーツニッポン)

そして、10月9日には晴れて退院となったのだ。

わずか10日で壊れる

退院したときは、若干疲れが見えたものの、元気を取り戻していたように見えた。気になったのは、酒を呑みたがっていたことだった。さすがに退院した日から飲むとは思えなかったが、あとでひとりでコンビニに行ったということを聞いて、嫌な予感がした。

毎朝のメールは順調かと思いきや、だんだんと文章がおかしくなってくる。そのうちに毎朝電話がかかってきて、「Outlookの受信トレイが無くなった(使っているのはThunderbird)」「キーボードが言うことをきかない」などと言うようになってきた。一度はマンションにパソコン環境を見に行って設定したが、その翌日から「駄目だ」という電話が毎朝かかってきた。

10月16日。勝谷復帰記念の『血気酒会』をやろうということになり、私の事務所にてライブ配信を行った。番組中は、まだ話ができていたが、その前後は蚊の鳴くような声で、歩くのもフラフラだった。「終わったらみんなで『にじゅうまる』に行って一杯やろう」と言うので、「はあ?酒は飲んじゃダメだろう。飲まなくても食べれば良いよ」というと、「じゃあいい、行かない」とひとりマンションに帰ってしまった。

勝谷誠彦氏 病因はやはり肝臓、重篤状態から劇的回復中(Newsポストセブン)

毎朝の日記はどんどん壊れていき、10月19日の日記は、ほとんど暗号としか思えないようなものだった。

<肝臓病あがりの病人がこけつまろべつするのは、笑えるけど、もういいというご感想をいただく。めお通りだと思う。でも,めお裏が側に「そんな馬鹿なこにもなるんだね」という起苦笑があって、またご報告したくなる。本人は本当に腹が立っているのだ。朝の貴重な時刻をなぜこんなごみための中にいなくちゃと。でも、あなたや、あなたもいつか筋力が落ちたり,歳をとったりするとこうなるのだよと、若干の継承をこめて。>(「2018年10月19日号。<ええっ、いったぜ、いのちがけ>。」より)

なんだ?「こけつまろべつ」って。

私は、「もうダメだ」と思って無期限の休載を決めた。

再入院

勝谷は、20日に尼崎で講演があったので、19日に移動し実家に入った。講演はなんとか成功に終わったが、そのまま実家にいて弟家族に面倒をみてもらうことになった。

勝谷誠彦氏 退院後初の公の場「死にそうになった」コラム当面休載(デイリースポーツ)

また禁酒生活に入ったので、次第に元気にはなってきたものの、ほとんど食べない状況は変わらず、実家では毎食しっかり出してもらっていても、酒がないと食べようとしなかった。

腹水の状態が悪くなる一方だったため、尼崎の病院に入院して腹水を抜き、再度東京に再入院となった。

メルマガを11月からリニューアル

読者も減ってきて、今度こそやめようと思っていたメルマガ(有料配信メール)は、それでも諦めない読者からの熱いメッセージと、再度復活できるかもしれないという僅かな期待を無にできず、熟慮した上で11月からリニューアルすることに決めた。

まず、勝谷が毎日書くというのは無理なので、私(高橋ヨロン)が毎日書くことにする。しかし、私はプロのもの書きではないし、物理的にも無理だと思ったので、勝谷にゆかりのあるプロのライター・作家とマネージャーのT-1君に、とりあえず11月は週一回程度書いてもらうことをお願いし、勝谷の復帰を待つことにした。

もし勝谷が全く書かなくても、彼に収入があるように購読料の分配方法を見直し、執筆者にも僅かではあるが執筆料が入ることにした。それまでは無償だった。

読者には「勝谷がいつ復活するか、復活できないかわからない」ということを伝え、それでも購読料を払ってもらう方からは頂戴し、勝谷の完全復帰まで解約はしないけれどメールは受け取らずに購読料も払わないという「お休みコース」を新設した。そりゃあ、勝谷の文章を読みたくて登録した読者からしたら、ヨロンとか他の執筆者の文章を読まされて、購読料は払いたくないだろうしね。それでも払ってくれる読者には本当に感謝している。そして、すでに運命共同体のような感覚が生まれている。

先は見えないが

新体制になってから約3週間。

勝谷は入院中ではあるが、次第に体調は戻ってきて、日記も毎日書けるようになってきた。このままいけば今週中に退院できるようだが、みんなが心配しているのは、ひとりで自宅に戻って、また呑み始めるのではないかということだ。再々入院となってしまえば、もう誰も心配しなくなる。本人は「俺は依存性じゃない」と言っているのだが……。

私は、「この日記はいつまで続けられるだろうか」と心の中に重石を置いているような感覚で毎日を送っている。

-勝谷誠彦

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