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勝谷誠彦

鹿児島からフェリーに乗って奄美大島へ〜呑んだくれも包み込む島

投稿日:2018年5月16日 更新日:

『西郷どん』で、西郷吉之助(西郷隆盛)が奄美大島に流された同じタイミングで、鹿児島〜奄美大島のライブ配信『船上血気酒会』を開催したのは、別に狙ったわけではなく、たまたま一致したんだな。

桜島じゃあ

鹿児島から沖縄までのフェリー『マリックスライン』社長の岩男直哉さんが、もともと有料配信メール『勝谷誠彦の××な日々。』の読者で、勝谷さんやマネージャーのT-1君なんかと呑んでいて、冗談半分で計画したのが、今回の『船上血気酒会』だった。

企画の段階で、最少催行人員を15人としたら、全員で20人ほどになったので開催決定。しかし、鹿児島新港に土曜日の17時半に集合し、船の中で一晩中呑んだくれて、翌朝5時に奄美大島の名瀬港で解散するというとんでもないイベント。

マリーンコーラルプラス

5月12日午後5時半。なんとか全員が揃ってスタート。配信は陸の基地局とWi-Fiでつなぐしかないので、湾を出る1時間くらいはなんとかなると思っていたのに、実際は10分程度で終了。au回線だったこともあるかもしれないけど、docomo回線でもそんなに違わない感じだった。

そうは言ってもどうにもならないので、そのまま飲み会に突入。ほとんどひとり一升といった感じだと、酒で酔っているのか揺れで酔ったのかわからない状態だった。

勝谷さん(今回は一応”さん”付け)は、9時過ぎに部屋に帰ったと思うんだがよくわからない。そのまま船の揺れも加算されたのか、泥酔し、気がついたら翌朝になっていた。そして明け方5時に名瀬港。

近くのホテル『ビッグマリン』の布団部屋みたいなところで、みんなで休憩させてもらい、元気のある人は風呂に入ったりモーニングをいただいたり。私といえば、激二日酔いで動くことが出来ない。

ところが、突然勝谷さんが来て「メールが行かないんだよ。ヨロンさん、見てよ」というので、フラフラしながら部屋まで行って片付けて、また布団部屋に戻って倒れる。

それでも部屋にいられる時間も限られているので、10時少し前、ほとんど意識も無いままに風呂に行って汗だけ流し、なんとかT-1君の運転する車に乗り込んだ。

レンタカー(セレナ)に乗り込んで、まずは『富田酒造』見学。激二日酔いなのに、酒造見学とはどういうこっちゃ、と文句も言えず。焼酎の貴重な話を伺って、「黒糖焼酎」のことを何も知らなかった自分を恥じた。酒が残っていなかったら、もっと頭の中に残っていたんだろうな。

「龍宮」でおなじみの富田酒造さん

数種類の黒糖を試してみる

それからオススメのホノホシ海岸に行き、美し過ぎる景色に圧倒される。しかし、歩くのもやっと。遅めの昼食は、定食屋でカレーを頼むも、この私が4分の1程残してしまうという失態。カレーの神様ごめんなさい。

ホノホシ海岸

ホノホシ海岸の不思議な雰囲気を持った洞窟

名瀬港のホテルに向かう前に、勝谷さんが「どこか行きたいところある?」と聞くので、まだ頭がクラクラしている私は消えるような声で「とりあえずマングローブを見たい」と言ったら、「よし、カヌーにしよう」ということになってしまった。

「無理だ。絶対吐く」と言ったら「大丈夫だよ。自然に還るから」って。自然の神様ごめんなさいごめんなさい。結局そんなことはなく、人生初のマングローブとカヌーを堪能してしまった。マングローブの森は『ブラタモリ』で見たそのままで。テレビでも食い入るように見てしまったけど、やはり体感は違う。カヌーを漕いで進みながら行くマングローブの森は、空気の感じが違うため、周りに誰もいなければ時代も異なって感じられたかもしれない。それほど自分にとっては異体験となった。

マングローブの森

カヌーは初体験

ブラタモリで見た!

フラフラで(といってもT-1君の運転するレンタカーに荷物のように乗っていただけ)ホテルに着き、そのまま夕食という名の飲み会に突入する。

飲み屋街の外れにある小さな店「一村」は、当然、奄美の生んだ『日本のゴーギャン』田中一村にちなんだ店だろうということで入ったら、ほぼ満席だったので、ビール一杯で失礼する。良い店だったけどなあ。

「日本のゴーギャン」田中一村にちなんだ(であろう)居酒屋『一村』

次に行ったのは、いかにもな海鮮居酒屋『脇田丸』。なかなか良かったし、美味しかったんだけど、店員さんがテンパっていて、勝谷さんがイライラし始めた。頼んであった伊勢海老がいつまでたっても出てこず、店員さんが忘れていたのを確認してから店を出る。

そして近くの同じような店に入る。ここはちょっとオシャレで、客層も若い女性が多い。食事も美味しく、少し落ち着いて呑んでから、ホテルに帰った。

居酒屋『脇田丸』にて

奄美といえば夜光貝

三軒目で奄美に流された『西郷どん』を見ながら勝谷が解説

「OH!かまBar」いハマる勝谷

翌朝、前日のカヌーの筋肉痛が残っていたけれど、なんとか10時にチェックアウトし、T-1君運転のセレナに乗って空港経由で奄美パークへ。私と勝谷さんは以前行ったことがあったので、T-1君と優ちゃんが展示コースと田中一村記念館を見学してくる間、レストランで食事。しかし、勝谷さんは、「お腹すいたから鶏飯食べたいよお」と言って自分で頼んだのに、焼酎を呑んでいて「やっぱり食べられないや」と。お子様かよ。

奄美パークと不思議なデザインのバス

そうこうしているうちに見学組が戻ったので、また車に乗り込んで、絶景の土盛海岸へ。ここの海は本当に美しかった。海の写真を撮ろうとすると、勝谷さんが「あの白い服の女性を入れるとグッと良くなるよ」と写真家として(今は手が震えるらしいけど)アドバイスしてきたので、「そんなことわかっているよ」と言いながら写真を撮る。

土盛(ともり)海岸

土盛海岸の美しさは感動的だった

そこから「あやまる岬」へ。行くまでは「みんなで謝っているところを写真に撮ろうぜ」などと盛り上がっていたけど、実際は「この地形がアヤに織られた手毬に似ていることから『あやまる』となった」のだそうだ。ところが、せっかくの絶景を壊してしまう変なレジャー施設があり興醒めしてしまった。なんで、絶景のポイントにミニゴルフ場とか作っちゃうかなあ。

あやまる岬

空港に戻る途中、さとうきび畑があったので、T-1君が「勝谷さんがさとうきび畑に入ってざわわしている写真を撮りましょう」と悪ノリしてしまい、さとうきびに近づこうとした途端に、足を踏み外して仰向けに転んでしまった。

みんなで笑っていたら「ちょっと!笑い事じゃないよ。起きられないんだよ」というので、私が起こしに行き、なんとか救出に成功。あのままみんなで帰っちゃったら、「勝谷誠彦、さとうきび畑で仰向けで死す」となるのかな。せめてうつ伏せだったら、坂本龍馬みたいだったのに。などと考えながら空港へ。

勝谷さとうきび畑で遭難(撮影:T-1)

飛行機が出る10分前にもまだ日本酒を呑もうとする勝谷。頼んでいないのに私の分も持ってこられ、捨てるのももったいないので、とりあえず飲んだら、怖くて仕方がない飛行機に乗り込んだ途端に眠くなり、揺れが少なかったこともあって、ほぼ怖さを感じずに羽田に着陸することができた。まあ、それはそれで良かったか。

何度乗っても飛行機は怖い

モノレールが事故で止まっていたため、京浜急行に乗り新橋で降りる。そして、新橋から有楽町まで歩き(あとで考えたらJRで移動するかタクシーに乗れば良かった)、居酒屋『たぬき』。そして、私に招待状が来ていたザ・ペニンシュラで開催されていたイベントに、リゾート風の格好で二人で乱入し、半蔵門で呑み直すという、本当ににんげんとしてどうかと思えるような旅となってしまった。

それにしても、奄美は不思議なところだ。海を見ているだけで、身体についていたヌルい瘡蓋のようなものが落ちていく気がする。奄美の歴史を知ると、そんなに美しいものばかりではなく、辛い時代もあったのに・・・沖縄のように戦火にまみれることもなかったために、「何か」が残ったのかもしれない。

明治維新は、そのずっと前だけど、西郷どんが九死に一生を得て再生していくのは、もともと奄美が持っていた「何か」がそうさせていったのか。そういえば、数年前に喜界島に行ったときも、同じようなことを感じた。

もう一度、それを感じるために奄美に行きたい。

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