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兵庫県知事選挙 勝谷誠彦

勝谷誠彦の兵庫県知事選挙 その6 一週間の差

投稿日:2017年7月23日 更新日:

残作業がほぼ片付いて、三宮のマンスリーマンションを退去しました。まだ数回は来ることがあると思うけど、ひとまず東京に帰ります。

よく選挙は「最後の3日間で決まる」と言います。実際は、始まる前に決まっているようなものも多いわけですが。

今回は「一週間」でした。それも、最後の一週間で決まったということではなく、一週間のズレが明暗をわけたのではないか、ということでした。これは、先日関係者の慰労会を行った際にも話題になりました。

 

実は、4月末の時点で10ポイント以上の差で負けていたのが、一ヶ月後に7ポイント差になり、告示日直前にはほぼ並び、若干リードしました。

そこで、その結果をマスコミにリークしました。それは、まったく動かなかった在阪民放テレビ局を動かして、特集を組んでもらうためでした。投票率を上げなければ勝ち目はない。だから県民の関心を上げるために、テレビでの報道が必要だったのです。「兵庫県知事選挙は接戦で要注目!」と。

当然、相手陣営に流れるのも折り込み済みでしたが、それは相手を慌てさせて「これは負ける」と思わせ、戦闘力を低下させる効果を見込んでいました。ところが、投票日まで2週間残っていたために、「まだ間に合う」という余裕を与えてしまいました。

実際、複数の筋から聞いた話では、「このままでは負けだ」と陣営は意識し、最大で54万票と言われている公明票にスイッチを入れたそうです。

投票日の一週間前、朝日新聞に「井戸やや優勢、勝谷激しく追う」という報道が出ました。このとき、実際には7ポイント差だったのですが、朝日は勝谷の勢いを考慮して、「実質的には5ポイント以下だろう」と読んだのだと思います。

このとき、私は不安を感じました。当初の目論見では、告示日の時点で若干負けているくらいがよく、投票日の一週間前に並んだら勝てると踏んでいたからです。相手陣営が気がついたときにはこちらが勢いで勝っていて、最後の一週間で戦意を喪失させれば勝てる。それしか勝つ方法はない、と考えていました。実際は、相手が一週間早くスイッチを入れてしまったのです。

理想的には

2ヶ月前:20ポイント差で負け
告示日:10ポイント差で負け
一週間前:並ぶ

だったのが、実際は

2ヶ月前:13ポイント差で負け
告示日:並ぶ
一週間前:7ポイント差で負け

だったのです。

結局、一週間あれば組織票は動かせるわけですが、、そのスイッチを入れないようにするためには、ギリギリまで相手に油断してもらう必要がありました。この時点で、「早めにテレビ局に関心を持たせて、県民の意識を高める」のと「ギリギリまで井戸陣営には寝ていてもらう」の切り替えのタイミングを見極めていたはずが、勝谷の伸びを過信して一週間早めに動いてしまいました。

とはいえ、告示日以降、日増しに反応は良くなってきました。県民の関心も徐々に高まり、遊説部隊の士気も上がってきました。ポスターの出来も、選挙公報も、政策チラシも、何ひとつ負けているものはなく、ここで差を付けられると思っていました。

選挙ポスター

選挙公報

確認団体チラシ

しかし、実際に伸びたのは井戸さんの方でした。投票一週間前の「勝谷激しく追う」報道は、実は告示日から状況がほとんど変わっておらず、井戸さんが逆転したことを示していたのです。

県民の「熱」も感じられませんでした。2000年の長野県知事選挙のときは、後半になっでグワッと「波」が起きてきた実感があったけど、今回は最後まで波は起きず、メディアにも「熱がない」となかばボヤキのように言っていました。

 「市民が目覚めればどんな力を持っているか、われわれは知っている」と勝谷。だが高橋には危機感もある。「長野の時のような熱がない」。当選確実と目された前副知事を田中が破った長野県知事選の際は、長野五輪を巡る使途不明金問題や、旧態依然とした県政に不満が渦巻いていた。
<変える力 訴える力>(1)勝谷誠彦候補「頭脳戦」(神戸新聞)

期日前投票の出口調査では、井戸さんがリードしていました。これは「期日前投票は組織を持っている現職が強い」という選挙の「常識」を信じることにしました。それでも当日が勝負だと。

井戸陣営はとにかく組織がために必死でした。それしか勝てる要素は無いからです。1万2千以上の個人・団体の推薦を受けているわけですから、そこには政党票だけではないものもたくさんあります。無党派の支持で負けたのは、いくつか理由があると思いますが、その中のひとつは政党票以外の組織票もあるのでしょう。医師会、酒造組合、労組など、ありとあらゆる組織が井戸支持でした。

兵庫県知事選出口調査分析 支持政党(神戸新聞)

「みんな『多選はダメだ』と言っている」という話もよく聞きましたが、多選がダメなのは、そのために何か不具合が出ているからで、そこを視覚化できないと、有権者には伝わりません。私たちは多選の弊害を訴えましたが、なかなか具体的なイメージをもってもらうようなものは提供できなかった。

最後の一週間、支持が伸びてこなかったことがわかったので、直せるところは直そうと考えました。毎日50通以上来るメールや、記者などからの情報で、「勝谷さんが現職批判ばかりで政策がわからない」というのがあり、私は勝谷に「現職批判はやめよう」と言いました。これは最初から言っていたことですが、本人曰く「いや、そんなことないよ。ちゃんと政策も言っているよ」と。

実は、彼は政策も語っていたのですが、現職批判をするときには拳を振り上げて激しく行うのに、政策は優しく説くため、聴衆からすると批判の部分しか印象に残らないようでした。
私と樫野さんは、「俺達が現職批判をするから、勝谷さんはとにかく夢を語って欲しい」と提案し、本人も了承しました。

 19日夜の選挙事務所。遊説を終えビールで喉を潤す勝谷に、高橋が「もっと夢を語ってほしい」と注文を付けた。最新の調査結果は陣営も驚くほどの伸びを示していたが、一方で有権者から「演説が多選批判ばかり」と苦言を呈するメールが相次いでいた。「組織戦の現職に肩を並べ、前に出るには」と高橋。刻々と変わる情勢をにらみ、勝利へのシナリオを練る。
<変える力 訴える力>(1)勝谷誠彦候補「頭脳戦」(神戸新聞)

最終日の演説のようす

 

一週間早く相手陣営にスイッチを入れてしまったのと、告示日以降支持が伸びなかったこと。結果だけ見れば、なんとかなったような気もするし、どうにもならなかったような気もします。

>> 勝谷誠彦の兵庫県知事選挙 その7 最後に

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