前回を簡単にまとめると
- わけわからないくらい多くのサービスが出てきている
- 50代以上になると(どの年齢層にもいるけど)、ネットの流れについていくのが厳しくなり、必死についていっても見当違いになってしまうことが多い
- かくしてアナログのまま取り残されていくことになる
という感じで、なかなか厄介な状況だなあ、と思うわけです。
もう止まらない人工知能の進化
今回はちょっとインターネットから外れます。
たとえば、今、VRなどと並んで「キテいる」感満載の『人工知能』。
「それってちょっと昔流行ったアレでしょ」とか「SFだなあ」とつい思ってしまうのが中高年。
今は、普通に「Hey! Siri」とか「OK! Google」とか人工知能と会話しちゃっているじゃないですか。
この本を読むと、人工知能は今までもブームになったけど、今回は本物だ、ということがよくわかる。
ついに始まった、資産運用をロボアドバイザーなる人工知能が指南してくれる「THEO」。要は、自分の資産(10万円から)を世界に分散させて、リスク回避しながら人工知能が運用してくれるというもの。『ザ選挙』で大変お世話になったGoogleのBさんが、昨年の退職パーティで「今度は金融関係をやるんです」と言っていて、どんなものになるか密かに期待していたんだけど、自分が想像できる範囲を超えていて、ひたすら「すげー!」としか言いようがない。
しかしこうなると、他の分野にもあっという間に広がっていくんでしょうね。
今まで、チェスや将棋ではすでに人間は負けてしまい、「あと10年は超えられない」と言われていた囲碁もついこの間の1月にプロ棋士が負けた。ホーキング博士は「100年以内に人工知能は人間を超える」と予言すれば、2045年には人工知能が人類を超えるとする予想もあるし、イーロン・マスクは「10年以内に人工知能が人を殺し始める」と予想している。
すでに都市伝説の話ではなく、自動運転車が公道を走り、テスラはプログラムアップデートで自動運転できるようになるとか。近い将来人間が運転しない方が普通になるのでしょう。
そんな中、AP通信は2014年の7月から記事を書く人工知能プログラムを導入しているし、日本でも今年から文部科学省と経済産業省、総務省が合同で、本格的に人工知能開発に取り組むことになっている。
そして話題の「ワトソン」
米IBM、人工知能「ワトソン」を成長戦略の中核に (日本経済新聞)
この記事は人間が書いたものだけど、おそらく近い将来、このくらいの記事は人工知能が書くようになるでしょう。
新聞記事を人工知能が書く
以前、新宿ロフトプラスワンで行われたイベントに、「取材だから」と言ってタダでカメラマンと来場し、始める前に楽屋に来てノートパソコンに書いた予定稿を「これで良いっすか?」と、初めて会ったのに挨拶もせずに見せてきて勝谷に怒鳴られた某記者。「お前は誰だ!」と聞かれて「日経新聞です」と答えてさらに勝谷に怒られ、会場ではなくモニターでイベントを眺めて一銭もライブハウスには落とさずに帰った、お前だお前!
翌日の記事を見たら、予定稿そのままが掲載されていて、イベントの趣旨や内容とはかなりかけ離れていたのに、辻褄が合うように酷いトリミングされていた。あー、今思い返しても腹が立つ。
こんなアホ記者はとっとと人工知能が変わってしまうのでしょう。早く変わってしまえ!
ちょっと落ち着いて。フウ〜。
全部とは言わないまでも、かなりの記事は人工知能が書いてしまうのでしょう。そうなると、ろくに取材をしないで記事を書いているメディアはすぐに淘汰されてしまう。
小説だってそう。今はまだ全然かなわないけど、そのうち人工知能がベストセラー小説を書けるようになるかもしれない。
しかし、今回のアカデミー賞を受賞した映画「スポットライト 世紀のスクープ」には、これからのジャーナリストの進むべきヒントも入っているように思える。
上記に書いた日経の記者はまだ若く、いろんなところで「俺は日経の記者やっているんだぜ」と言ってなんとかなるとおもっているんでしょう。でも、マスコミを作り上げてきた記者たちはそんなことを言っていたわけではなく、大きな正義感と地を這うような地味な取材で「ジャーナリズム」を追求してきたはず。
おりしも、なぜか文通が流行ってきているらしい。デジタルが進化するのと並行して、人間はアナログに回帰し、その良さをこれからの時代に上手に活かせる人が生き残っていくのかもしれない。そして人工知能は知らないところで人間の生活に入ってくる。
もう50歳以上かどうかなんて関係なくなって来ちゃったけれど、「アナログ」を体感している中高年世代は、今後のデジタル時代の中で、人間が泳いでいかれるヒントを意外と持っているのかもしれない。
などと、今回はかなりとりとめもない話で失礼いたしました。