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メディア 日記

2008.8.5 あれから14年、何か変わったのだろうか。

投稿日:

穂高

実は、突然行くことになってしまい、久しぶりに穂高にやってきました。

やっぱり夜は涼しい!今日は大雨が降ったということもあるかな。
エアコンのいらない夜なんて何日ぶりだろう。
この間、長野と飯田に行ったときもホテルの部屋では一晩中エアコンをつけていたもんなぁ。
それでも、私が穂高にいた頃はエアコンをつける夜なんて一夏で数日しか無かったけど、最近はそうでもなさそう。

そんな久しぶりの穂高で知ったニュース。
澄子さん死去、河野さん「ぎりぎりまで命を燃やし尽くした」(読売オンライン)

松本サリン事件が起きたとき、私は河野さんの自宅からクルマで5分ぐらいのところに住んでいた。
そのときのこと今でもはっきりと覚えている。
朝会社に行くと、みんなで興奮気味に「何が起こったんだろう」と話していた。

夜、ニュースステージョンを見たら、河野さん宅のかなり精巧な模型が用意されていて、久米さんが詳細に解説していた。
その時の口調は、明らかに河野さんを犯人だと決めつけているものであり、これは久米さんだけでなくニュース23の筑紫さんも同様だった。
ただ、「犯人」というよりは「農薬の調合を間違った可能性もある」とか「戦争時に埋められた細菌兵器の可能性」なども指摘されていたように思う。

新聞や雑誌も酷い内容で、翌日から河野さんを犯人と決めつけた記事が氾濫することになる。
薬物の専門家が農薬説に関して疑問を投げかけても、マスコミも警察も全く耳を貸さなかった。私は、戦争時の細菌兵器のの可能性が高いと同僚と話し合っていたけど、すっかり「河野さんが犯人なのかなあ」とも思ってしまった。

この事件の悲劇は、不特定多数の市民までもが無言電話や手紙などで河野さんを攻撃してきたことであり、その上真相を追求するべきマスコミまでもが、いっしょに加害者となってしまったことだ。

このときマスコミの「ジャーナリズム」は地に落ちた。

その後、確か京都かどこかの高校生が、農薬説に疑問を投げかけたり、サリンと農薬の関係を否定する文書が撒かれたりしたが、警察とマスコミがはっきり間違いだと認めたのは、翌年地下鉄サリン事件が起きてからだった(この辺りは記憶が曖昧)。

この時のことを考えると、今のマスコミは少しは変わったのだろうか。

多少は容疑者に対する扱いが変わったようにも思えるが、報道を見ていると、絶対に犯人だと決めているのに、建前だけで一般市民扱いにしているケースが多くなっただけに思える。

結局本質は変わっていないのかもしれない。

ここで、もう一度マスコミは自らを見直すべきではないか。
真実を追究する前に思考停止に陥っている現状は、14年前と何も変わらないのだから。

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