最近、気がつくとボーッと考え事をしている。
まだ年賀状作りで消耗している
年末は、私のようなほとんど個人事業主でも、人並みに忙しくなる。当然、年賀状もギリギリになってから作成することになるのだが、私の年賀状はその年にあったことをビッシリと書くため、イラストを入れるスペースが無い。したがって今年の干支もわからない。
見る人は、読みたくもない自慢話と自虐ネタを読まされるので、いい迷惑だろう。そんなこともあって、会社経営者でありながら年賀状の数は年々減っていき、今は実家と親戚、恩師と生存確認のための古い友人くらいになってしまった。あとは仕事関係だが、政治家に出しても意味ないので、お世話になっているお得意さんくらい。全部で100枚弱といったところだ。普通のサラリーマンだった父でも、毎年100枚は出していたので、これは少ない方に入るのだろう。
思えば、ローランドの社員だったころ、電子業界というのは年が明けてからロサンゼルスとフランクフルトで大きな楽器ショーがあるため、年末は新製品の試作品作りでめちゃくちゃ忙しくなる。したがって、毎年年賀状作りは大変な作業だった。とりあえず家族の分を作り、なんとか大晦日に投函。自分の分は年明けになることがよくあった。
会社を起こしてからは少し余裕ができたような気がしたけど、2007年に勝谷誠彦の有料配信メール(メルマガではない:本人談)を始めてから、彼が大晦日も元旦もメールを配信するため、なかなか落ち着かず、結局年賀状作りが大きな負担となっていた。
当然、今年もこのタイミング(12月30日)で何もできていない。こんなブログを書いている暇があれば作ればいいのに…要は逃げているのかもしれない。
郵便事業は、新しい習慣をビジネスモデルに
考えてみれば、これだけSNSが広く使われるようになった現代、アナログの年賀状文化も形を変えるべきではないか。年賀状の存在に関しては、「新年のけじめだ」とか「ネットをやらない人は必要だ」とか「正月の風物詩」といった考え方があるので否定はしないけど、ネットで連絡が取れる人にはネットでいいんじゃないかと思う。毎年、「今年は飲もうぜ」とか「近くに来たら寄ってください」なんてコメントを入れても、だからといって「いつ飲む?」と返事するのは翌年になり、近くに来たからといって本当に寄ってしまえば、嫌な顔をされるのがオチだ。
そもそも、以前届いた年賀状はゴミにしかならないのに溜まるばかり。大掃除のときに「このころは若かったなあ」とか「人んちの子どもって大きくなるのが早いねえ」などと懐かしむくらいで、数年に一度あるかないか。それであれば、最初からデジタル化されたもののほうが良い。
親や親戚は楽しみにしてくれる(はず)なので出すとして、あとは恩師とネットをやっていない友人くらいでいいのではないか。仕事関連はお得意さんだけ。
本当の「ウェブ年賀状」サービスを
とはいえ、結婚、転居そして死亡時にはちゃんと出すべきだ。特に死亡時には自分は出せないから誰かに頼むわけだけど、オンラインで送り先住所を入れておき、何かがあったときには決まったフォーマットで一括して出してくれるオンラインサービスとかどうだろう。例えば郵便局のサイトに住所録を作れるようにしておき、それぞれ「年賀状」「暑中見舞い」「転居通知」「死亡連絡」のフォーマット(数十〜数百種類)にコメントを入れて一括で出せるようにする。決済はクレジット、銀行振込、プリペイドなど。
これであれば、年末年始だけ異様に郵便局窓口が混雑することも少なくなり、年間通して少しは混雑度も分散されるので、アルバイトが集まらないといって困ることも減るのではないだろうか。せっかく民営化されたんだったら、時代に合わせて事業を変えていくことは必要であり、まだまだ有利な状況にあるうちにチャレンジしていけばいいのにな、と思う。
一時期、Flashを使った「ウェブ年賀状」みたいなサービスが流行りかけたけど、最近はそれほど見ることはない。それは紙の年賀状を無理矢理ウェブに載せたからであり、送り先に余計な負担を強いることになって、他の年賀状と分けた保存方法となり管理は面倒だし、期間限定で消えてしまうようなものもあったりして、簡単なはずのものが複雑で使いにくいものになっていたからだ。
今回の方法では、まず年賀状を買いに行く手間がなくなり、印刷しなくても済むので、その時間やプリンタの負荷が激減する。日本郵便が運営元となるので安心できるし、届いたものは他の年賀状と同様の管理ができる。どうしても手書きとかこだわり抜いた年賀状を作りたい人は、今までどおりの方法で作れば良い。プリンタ業界や年賀状ソフト会社は困るかもしれないけど、一般的にはいい事ずくめではないかな。
さて、大掃除をしてから年賀状書き始めるか。