新年そうそう、気がつくとボーッと考え事をしている。
紅白歌合戦での理不尽な「採点」方法で、イライラしながら年を越してしまったのは置いといて、最近はいろいろと気になる事が多く、夜眠れないので昼寝している。
昨年から妄想していることのひとつにこんなことがある。
「障がい者と健常者は、あと数年で逆転するのではないか」
発端はこれ。
パラリンピック男子1500m(視覚障害)、4人がオリンピック金メダル記録を超える(ハフィントンポスト)
9月11日(現地時間)に行われたリオ・パラリンピック男子1500メートル(T13視覚障害)で、アブデラティフ・バカ選手が世界記録の3分48秒29で優勝した。この記録は、リオ・オリンピック男子1500メートルの金メダル記録3分50秒を上回る。つまり、バカ選手がもし8月に同じ競技場で行われたリオ・オリンピックに出ていたら、金メダルに輝いたことになる。バカ選手だけではない。2位のタミル・デミッセ選手は3分48秒49 、3位のヘンリー・カーワは3分49秒59選手、4位のフォーダ・バカ選手(アブデラティフの弟)は3分49秒84でゴールし、4人がリオ・オリンピック金メダル記録を上回った。
力で走りで、偉業次々 リオパラ、五輪超えの記録相次ぐ(朝日新聞)
健常者の記録を超える――。単純比較はできないが、これまでのパラリンピックでは想像できなかった数字をたたき出すパラアスリートが出てきた。
14日のパワーリフティング会場。地鳴りのような観客の足踏みと大歓声の中、107キロ超級のシアマンド・ラーマン(イラン)が、車いすに乗ってベンチプレスの台に向かった。この日、最後となる4回目は310キロを設定。ほぼ同じルールで競う健常者の最高記録を、35キロ上回る。
この傾向はロンドンオリンピックあたりから出ていて、今回のリオのパラリンピックで現実的となった。
それからいろいろと考えていて、今回のエントリーを書き始めたところ、こんな投稿がすでにあった。
ここで作者が主張していることに同感する。
そんなわけで、さらに何十年後かには、オリンピックと、パラリンピックは明確に別の道を歩むと思います。しかし僕は、それで良いと思います。
オリンピックは、肉体の究極を求める大会。パラリンピックは、人間とテクノロジーの融合を極める大会になればと思います。俗な言い方をしてしまえばサイボーグ技術を競う大会です。
今回のリオのパラリンピックは、選手が身につけている義肢用具の力ではなく、本人のそれこそ血の滲むような努力の賜物であると言えるんだけど、今後さらにカーボンファイバーを超える素材を使用した義足の発達や、ハイテク化によって、パラリンピックの記録がオリンピックを半分以上超える日が来るのは近いのではないだろうか。
障がい者が健常者を超える
そうは言っても、義足を付けて全速力で駆け抜けるなどというのは、やはり運動能力に長けた選手が、人一倍の練習を重ねてできることであって、私が簡単に「ハイテクで記録はどんどん伸びるだろう」と知ったようなことを言うのは、選手たちに大変失礼だ。
運動選手に関しては、先に挙げたブログに詳しく書かれているので、この場で考えるのはここまでにして、これを一般人に広げるとどうだろう。
たとえばこんな妄想をしてみる。
乙武くんの両腕に義手、そして両足に義足が付く。その手と足は脳波で動かすことができる。さらに上から専用のパワードスーツを着ると、100キロのものを軽々と持ち上げて、100mを8秒で走ることができる。手にはヒーターが内蔵されていて、いつでもホットコーヒーを熱いまま飲むことができる。
さすがに、脳波で動かせるようになるまでには時間がかかりそうだけど、これってそんなに先の話だろうか。こうなると、乙武くんは「五体不満足」であるがために、健常者よりも優れた能力を持つ身体を手に入れることができる可能性を持つということにならないか。そうなると「健常者」とか「障がい者」という用語も意味が変わってくるのではないだろうか。
よく「『障がい』は個性」だという表現はされるし、「障がい者が健常者を超える」などと書くと、「障がい者を差別している」と取る人もいそうだけど、そんな人ほど上から目線で『障がい』を見ているのではないか。現実をそのまま見ることが、変化を起こせるスタートラインにつながるのだ。
超性能義肢やパワードスーツの話は決して絵空事ではなく、すでにある方面では実用化が進んでいる。
下着感覚で装着!米国発「ロボットスーツ」(東洋経済オンライン)
スーパーフレックスの技術開発は、米軍の研究から始まっている。米国防総省には最新の軍事技術開発を担うDARPA(国防高等研究計画局)とよばれる部局がある。実はこれまでに、多くの著名な技術がこのDARPAのプロジェクトから生まれている。古くはインターネットがそうだ。最近では米アップルがiPhoneに搭載している人工知能「Siri」、米アイロボットのロボット掃除機「ルンバ」などがそうだ。
もはや身体はいらなくなる?
こうなってくると、歳を取って身体が動かなくなってきたり、足が弱って歩けないとか、事故や病気等で車椅子の生活を余儀なくされた場合、「ロボットスーツの方が良いのではないか」という考えも当然出てくるでしょう。
電車に乗るときも、わざわざ車椅子で乗る必要はなくなり、さらにパワーアップすると、そもそも電車に乗る必要もなくなるかもしれない。それは考えすぎか。
今までSFの世界だったことが、次々と現実になってきている。
究極は、身体を全部放棄してしまって意識だけを残す技術だけど、それは別の話になるので、違う機会に。