理沙と千恵
今年は冬の訪れが早いようだ。まだ12月上旬なのに、風が頬にあたるとヒュン、と皮膚が緊張するのがわかる。
理沙は、予定の時刻より10分早く赤坂の喫茶店『ハルジオン』に着いていた。繁華街から一本入ったところにある隠れ家的な喫茶店で、夜はワインを中心としたメニューに変わる。理沙と千恵は毎月「次世代ミーティング」と称して、この店で終電まで飲んで同期の愚痴を言い合っていた。店内には70年代の洋楽が流れていて昭和を感じさせていたが、理沙や千恵にとっては新鮮だった。理沙が席についたときは、イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーの「秋風の恋」が流れていた。
ガランガラン。ドアに付けられた古いベルが鳴って、千恵が慌てたように入ってきた。
「ゴメン!理沙。待たせちゃった?」
「いや、私もいま来たところ」
理沙は、早く話を聞きたかったので、まずは千恵を座らせた。
「じゃあ、生ビール」
「え?千恵、良いの?飲んじゃって」
「ちょっと喉を潤すだけよ。それより理沙、幹事長が交通事故にあったことは聞いたよね」
「うん、さっき千恵から電話があったあとに3人から電話がかかってきた」
「その電話って何か言ってた?」
「ううん、何も。大怪我ではなかったということで安心したんだけど、みんな詳しいことを知りたいみたいだった」
「そっかあ・・・」
千恵は軽くまわりを見てから慎重にことばを切り出した。
「実はね。まだ私と代表しか知らないんだけど、幹事長の増田さん、日本人じゃなかったのよ」
「ええ?増田さんて『増田哲也』って名前が嘘だったってこと?」
「いや、その名前が本当か嘘かはわからないんだけど、連絡先になっていたのが中国人の年配の女性で、その人が幹事長のお母さんだったの」
「それって、代表は知っていたの?」
「もちろん知っていたわよ」
そのとき、グラスに注がれた生ビールが運ばれてきた。千恵は何も言わず、カラカラの喉を潤すように、グラスの半分まで一気にビールを飲み、話を続けた。
「実はね。もうひとつあるの」
「何?」
「頭のレントゲンを撮ったときにわかったんだけど、幹事長の頭の中に、何か白いものが入っていたらしいの」
「それ何?なんでレントゲンなんか撮ったの?」
「表向きには怪我は大したことないって発表したんだけど、本当は一時的に意識不明になって、救急車で病院に運ばれて1時間ほどしてから意識が戻ったの。そのときにレントゲン撮影して見つかったんだけど、お医者さんが言うには、柿の種ほどの大きさのもので、写真には真っ白に写っていて、どうも何かのチップらしいんだって」
「チップ?しかもなんで柿の種なのよ」
「ああ、3年くらい前に『メッセージ』っていう映画があったでしょ。あなた映画好きだから観たんじゃない?」
「ええ、観たわよ」
「そこに柿の種が出てきたでしょ」
「ちょっと待ってよ、あれは柿の種じゃないし、巨大過ぎるわよ」
「お医者さんのイメージ的にはあれなんだって」
「あれって言われたって・・・で、結局何なの?」
理沙は、事の重大さに反して変に落ち着いている千恵に対し、いらだちを覚え始めていた。なぜ、千恵はこんなことを知っているんだろう。何を私に伝えようとしているのか。滝のように流れ出てくる「実は」情報を聞きながら、得体の知れない不安が広がってくるのを感じていた。
「私はどうしたらいいの?幹事長のお見舞いに行かないと」
「いや、今はまだ安静にしておいた方が良いんだって。代表が近くについてお医者さんと話しているはず」
「じゃ、何もしなくていいの?」
「そう。今のところ私たちはいつもどおりにしていればいいのよ。じゃ、私は戻るから」
「戻るって、どこに?」
「『未来』の事務所よ。荷物を置いてあるから、それを取って今日は家に帰るわ。ここのお勘定頼むわね。次は奢るからさ」
「わかった。私はこのまま帰る」
千恵は店に入ってきたときの逆を行くように飛び出していった。理沙は突然マルオのことを思い出した。マルオは一体何と言うのだろうか。そもそもマルオはそんなことを話題にするのだろうか。
理沙は、選挙のときに渡された専用スマホをじっと見つめていた。マルオはアプリのひとつとして入っていて、起動させるとメニューが表示される。しかし、実は裏で動いていて、いきなり画面に表示を出すことがある。『未来』の議員には全員に、このスマホが渡されていた。そして、同期の議員のひとりが「マルオフォン」と呼びはじめ、その呼び名が定着していた。当然、理沙と千恵の会話も、このマルオフォンは聞いているはずだ。ということはマルオに会話の内容は伝わっているに違いない。
理沙は、左手でコーヒーカップを持ちながら、右手の中指で小刻みにテーブルを叩いていた。しかし、そのリズムは店内に流れている曲とは合っていなかった。
理沙は勘定を済ますと店を出た。6時に待ち合わせしたときもすでに街は暗かったが、それから30分もたっていないのに、目の前には年末を思わせる派手な電飾が踊っていた。理沙は一瞬事務所に行こうかとも考えたが、さっき別れたばかりの千恵と鉢合わせするのも気まずいので、このまま家に帰ることにした。
そのとき、「ピンッ」と音が鳴った。スマホに目を落とすと、マルオからのメッセージが表示された。
<明日の8時 事務所に集合>
いつものように無味乾燥な表示だったが、今は逆に不気味さを感じていた。
(続く・・・かどうか)