兵庫県知事選挙 勝谷誠彦

勝谷誠彦の兵庫県知事選挙 その5 ボランティア選挙

投稿日:2017年7月18日 更新日:


なかなか書けないことが多く、とりあえず表に出せるところだけ書き置いていくので、あとは行間から推測していただければ。

最初にも書いたけど、今回、選対本部長も事務局長も各チーム担当もゼロでスタートしました。「ゼロ」で。
都議選とぶつかったというのもあるけど、たとえば政治団体の代表なんかは、勝谷人脈でなんとかなりそうなのに、ことごとく断られて誰もなり手がいないため、後援会の代表は勝谷本人で、確認団体である『楽しく兵庫を変える会』の代表は私でした。本人曰く「灘高ってさあ、卒業して地元に残る人は少ないんだよなあ。みんな日本の中枢に入るので、いろいろしがらみもできちゃうし」。確かにそうなんでしょう。
とはいえ、同級生が数人、実務の方で協力してくれました。自分の仕事を一時的に止めてまで駆けつけてくれる人もいました。この思いには本当に頭が下がります。あと、小学校の同級生だった白井文さん(元尼崎市長)も、会社関連のしがらみや、某所からの圧力もある中で、尼崎の個人演説会や最終日の遊説に参加してくれました。

事務所を探して借りる。什器類をレンタルする。銀行に口座を作る。政治団体の届け出を行う。出馬記者会見の段取りを行う・・・などなど。告示までは、私と勝谷のマネージャーのT-1君で、誰が何をやるという分担をすることなく、お互いに気がついたら動ける方が動くという暗黙の了解で進んでいました。樫野県議と知り合ったのも大きく、彼がいなかったら、事務所探しの段階で頓挫していたかもしれません。人口560万人の広大な県の知事選が、はたしてどのくらいの規模になるのか、そのときは想像すらできませんでした。

事務所の下見 いきなりベストな場所を紹介してもらえた

選挙の準備を進めながら、県内の全市町をまわるという目標を立てたので、余計にしんどい毎日が始まりました。この全市町まわりに関しては、戦略的に重要な意味があるので、別途書きたいと思います。

そんなT-1君との二人三脚でも、できないことがいくつもあります。その一番大きなものはポスター貼りでした。そして、ネット対応や選挙運動そのもの。ドライバーしかり、ウグイスしかり、政策ビラに証紙貼ったり。公選法の範囲内で、業者さんにお願いすることもできますが、やはり多くの仕事はボランティアの方々にお願いするしかありませんでした。

ボランティアによるポスター貼り

幸い、勝谷は1999年から毎日続けているウェブ日記の『勝谷誠彦の××な日々。』という自前メディアと呼べるものがあり、その読者の方々が今回は協力してくださいました。また、兵庫県内の勝谷ファンや、「県政を変えるために勝谷さんに当選してもらいたい」と来てくれた人、「選挙を勉強したい」という将来の政治家候補などが駆けつけてくれたので、徐々に選対らしくはなっていきました。ウェブサイトにボランティアの登録フォームを設置し、そこから登録してくれた人は約160名。さらに、ポスター貼りでは専用フォームを作り、FAXで応募してくれた人も入れると、最終的には200名以上が登録してくれたと思います。しかし、そこから実際にボランティアとして手伝ってくれたのは、連絡がうまく行かなかったこともあり、半分ぐらいだったかな。それでも100名以上の方々が「勝谷さんを知事にしよう」と自分の時間を割き、労力を使って参加してくれたのです。

ところが・・・各チームを取りまとめる人がいない。遊説チーム、ポスターチーム、ネットチーム、事務局・・・そしてボランティアの統括的な働きをする人がいなかったため、毎日が混乱の連続でした。いったい、何の仕事が今あって、これからどんな仕事が発生するのか、それはどれくらいの人数が必要になるのか。誰が指示を出すのか・・・それらを把握している担当がいなかったのです。

ボランティアのみなさんは、頼まれてきているわけではないので、基本的にはやりたくない仕事はしなくても良い。毎日来てくれる人もいれば、自分の仕事が終わって夜に来てくれる人もいるし、突然いなくなってしまう人もいる。中には積極的に「何かありませんか?」と聞いてきて、誰もやらないような仕事を進んでやってくれる人もいました。そういう人はとても貴重です。今回は兵庫県内、特に神戸近辺でさまざまな能力を持った方が集まったので、なんとか乗り切れたと言えます。

ひとつのイベントでも、多くのボランティアスタッフの力が必要だった

また、これはあらゆる選挙に通じる問題でもありますが、一ヶ月前はまったく知らなかったような人ばかりが集まってくるので、必ず衝突が起こります。今回もありました。内容は個人のプライバシーに関わるので書けないけど、実は勝谷陣営は一度崩壊していたのです。選挙期間中に。

これには困りました。私は、ほとんど事務所ビルの3階に篭っていたので、雰囲気をなんとなく感じているだけでしたが、報告を受けたときには「もうダメかもしれない」という状況でした。聞く人によっては「もう終わってますよ」とも言われました。

一度崩壊させてしまってから、1日か2日で立て直すということも考えましたが、本当にそれで良いのか悩みました。ここまで来たらボロボロになっても最後まで走りきるべきではないのか。崩壊させてしまうと、全体への士気に大きく影響してしまうのではないか。

考えた挙句、全体の役割分担をはっきりさせることにしました。「今さらかよ」と突っ込まれそうだけど、それすらも無かった。スタッフからしたら、誰がこの問題の責任を持っていて、誰が決めるのかはっきりしなければ、勝手に動かざるを得ず、スタッフ間の関係が混乱しても不思議ではありません。各担当を決めて、判断が必要な案件は私が最終決定権を持ち、全責任を負うことにしました。建前上、最終決定権と責任は勝谷にあるわけですが、最前線で闘っている本人にその都度問題を持ち込むわけにはいかないので、私が代わりに決断を下して、その責任を取るということをはっきりさせました。実質的には、すでに私が責任者になっていたけど、それでも「ふさわしい人に来てもらいたい」と探し続けていたら、選挙が始まってしまったわけです。

並行して、選対内の雰囲気作りを行いました。メンバーの表情を見たり、不満や悩み事が溜まっていそうな人や、近くにいる人に「最近どう?」と聞けば、問題があるか無いかぐらいは感じ取れます。何かあることがわかれば、それがどんなことで、どうすれば良いのか検討できます。

政党相乗り選挙の難しさもよく耳にしますが、管理できる人がいない状況でのボランティア選挙の難しさが痛いほど身に染みました。

担当を組み直して責任の所在を明らかにし、仕切り直して「さあ行くぞ!」となったのは、投票日の一週間前でした。
そして、このときには、新たな問題が発覚していたのです。

>> 勝谷誠彦の兵庫県知事選挙 その6 一週間の差

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