書き残しておきたいこと

さようなら平野稔さん

投稿日:2011年12月26日 更新日:


平野稔さんが亡くなった。

息子さんから「26日に発表するので、それまでは公表を控えて欲しい」と言われ、公にはせずひとりメソメソ泣いていた。

長野県の平安堂書店の会長で、飯田市の本屋から県内で一番大きな書店のチェーン展開を成し遂げた人物だ。

私にとっては、尊敬すべき人生の師であり、同志だった。

その熱すぎる正義感で摩擦を起こしたこともあるけど、私にはいつも穏やかで丁寧で優しく励ましてくれる、父親のような存在でもあった。

拙著の『電網参謀』ではインタビューで登場してもらったし、私のゼミにも来てもらったこともある。
一緒に地域政党『新しい信濃の国』も作った。なかなか政党としての活動はできなかったけど。

平野さんと政治の話をする時には、いつも酒があった。
ふたりでベロベロに酔いながら、何時間経っても話は終わらない。
いつでも最後はスナック。
呂律が回らなくても一生懸命ふたりで長野県の未来について語り合った。
平野さんは本気で長野県を良くしたいと思っていた。
「本当はね、本屋は政治に首突っ込んじゃいけないんですよ。だって自民党だって民主党だって学会員だって共産党だって、みんなお客さんでしょ。だからよく怒られるんだけど、それで自分の政治スタンスをはっきりさせないのは卑怯なんですよ。経営者はみんな自分の思想信条をはっきりと出さない。でもね、それではいつまで経っても長野県は良くならない」と語っていた。

そんな平野さんに2年前、食道癌が見つかった。
検査では見つからなかったのに、医者の勘で精密検査をして発見された。

平野さんは「長期間かけて治している時間はないから切っちゃってくれ。俺は選挙しなくちゃいけないんだ」と言って手術をし、リハビリもそこそこに退院して選挙に臨んだ。

2009年の長野市長選挙。
私と平野さんで半年かけて高野登さんを口説き擁立した。結果は残念ながら651票差で負けてしまったけど、実質一週間の選挙で現職を脅かすところまで行けた理由は、高野さんの人物としての素晴らしさ、そして平野さんの情熱によるものだった。
この時のことは、このブログでもいろいろと書いた。
本当に悔しかった選挙で、今でも悔いばかりが残っている。

今年、「また癌が見つかったけど、小さいから大丈夫」と言われ、一瞬嫌な予感がしたものの、自分の方も大変だったので「そのうちお見舞いに行こう」と思っていた。

3ヶ月ほど前に、平野さんが長男と新しく立ち上げた会社のサイトを作ることになり、東京で打ち合わせをするはずだったが、体調が良くないとのことで延び延びになっていた。

3週間ほど前、急に平野さんと対談してビデオに収めようと思いつき、秘書のOさんに相談したら、「今年は詰まっちゃっているから、年明けにしましょう」と言ってくれたので、そのつもりでいた。

 

考えてみたら、再発の知らせを聞いた時から、嫌な予感はしていたじゃないか。

それから長野の実家に行ったときもあったじゃないか。

もう一度会えたじゃないか。

 

もう一度会いたかった。

悔しい
悲しい

でも、一番悲しいのは身内や近くにいた人だ。

俺なんか年に数回しか会ったり話したりしなかったんだもの。

泣けば気持ちは落ち着くと思ったけど、いろんなことが思い出されてきて全然落ち着かない。
よく「心にポッカリと穴が開いたような」って言うけど、こんな感じなのか。

俺はいったい何をやったらいいんだろう。

もう長野の政治や選挙には関わらないって決めたから、このまま傍観者として長野を見つめるだけになるのだろうか。

たぶん、それくらいしかできないと思う。

平野さん、それでいいよね。

でも、長野に関わらず、自分にできることがあれば、やります。
平野さんと話した一つ一つを忘れないように。
いつも応援してくれたことばを忘れないように。

 


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